気にしすぎ、なんだろうけどね

 
 芥川賞直木賞の受賞作が発表になった。
 新聞を見てたら、受賞作家が発表になってたんだけど、直木賞受賞者のところに「父は作家の故○○氏」とか書いてあって、そんなことよりも二度目のエントリーで受賞とか、提供するべき情報は他にもあるだろう、と思った。
 思いつつ、他の面を開いたら、その「二世作家」(便宜上こう表記させてもらう。私自身は、彼女が作家の子だろうが八百屋の子だろうが、興味はない。作家なんざ作品がすべてだ)のコメントが載ってて、「小説は父に重なる」とタイトルが付いてた。
 なるほど、本人が「作家たる父の存在」と「自分の書く小説」とを重ね合わせているのか。
 それならば、「二世作家」という面が強調されても仕方ないかもなぁ……なんて思いながら、コメント本文を読んでみたら、何のこっちゃ。
 

「父の死後に(父が少年時代を過ごした島に)行ってみて、私にしか書けない方法で(島の小説を)書いてみたいと思った。
 私と小説との関係は父との関係に重なる」
 
  井上荒野氏の直木賞受賞コメントより

 
 小説と「父」とは全然、重なってないじゃん。
 自分と小説との関係が自分と父との関係に重なる、という文章を、どんだけ意訳したら「小説は父に重なる」になるんだ?
 私には、とてもそうなるとは考えられないんだが。
 新聞記者ってのは、同じ言葉を操る商売でありながら作家とは違う存在なんだな、ということをつくづく感じるのは、こういうときだ。
 もうちょっと神経を使って表記してもいいんじゃないの?
 もっとも、私自身にとっては、このすかぽんたんなまとめ方をされた記事を読んで、逆に、
「たまには直木賞受賞作ってヤツを読んでみるか」
 と思った面が確かにあるので、得るところがあったと言えないことはないのかも。
 派手派手しく「受賞作」って書いてあると、普段なら読む気が失せちゃうからね(苦笑)