死刑って…

 
 すこし前の話だけれど。
 3人の死刑囚が死刑を執行されたということで、いろいろと論議がかまびすしい。
 死刑の是非は、私などの浅薄な感覚で論ずることができるとは思えないので、脇に置いといて。
 宮崎某の死刑が執行されたことは、ちょっと感慨ぶかかった。
 死刑囚であろうと何であろうと、人一人が「死んだ」という事実に対し、「感慨ぶかい」なんて感じるのは不謹慎かもしれないけど、この表現が一番しっくりくるのも確か。
 宮崎某の事件が起きたとき、世間はまだまだ猟奇的な事件について免役がなくて、すごい騒ぎになっていた。
 いま、世の中に起きる事件は、普通の感覚では理解できないものになっている気がする。
 電車のホームから無関係の人をいきなり突き落としたり、歩行者天国にトラックで突っこんだり、隣人を殺害して下水に流したり……
 今となっては、どうしようもないことだけれど、宮崎某は、そういう犯罪のことを耳にしたら、どんな感想を口にしただろう。
 丹念に取材をした人があったり、彼自身の手記(書簡)が発表されたり、ということもあって、宮崎某の心のなかは随分と世間にさらされてきたように思うけれど、当然のことながら、すべてが明らかになったわけではないし、彼があんな犯行に走った理由は解らないままだ。
 いや、理由なぞ無かったのかもしれない、と思う。
 ときどきお邪魔する「たけくまメモ」の竹熊健太郎氏も述べておられるが、
 

事件の種類によっては「動機が解明できるものと、できないもの」がある
 
   (たけくまメモ「宮崎勤の死刑判決に思う」より)

 
 のは確かだからだ。
 そして、宮崎某の事件は、本人にも事件を起こした理由なんて解ってないんじゃないか、と思われるフシがある。
  でも、最近になって起きている様々な異様な事件(普通の感覚で考えると「異様」)について、彼がどんな感想を抱いたかが解れば、彼自身の犯行についても今までとは違った何かが見えてくるかもしれないし、見えてきた気がして楽になれるかもしれない、と思う。
 そうした事件が起きるたびに、マスコミが、
「某ゲームの影響だ」
 とか、
「某アニメの影響だ」
 とかって賢しげに延べていることについては、鼻で嗤ってしまうけれど、宮崎某の意見は聞いてみたかった。
 
 似たような年代の人間が、あんな事件を起こしたということで、私にとって、宮崎某が特別な存在であることは確かだ。
 彼の犯した罪の重さ等には関係なく、やはり特別なのだ。
 被害者となってしまった少女たちのことを思えば、素直に「冥福を祈る」と言うべきではないだろうけれど、彼のために、ちょっとだけ祈ってみようか……と思う。