ただの無神経

 
 ひとつ前のエントリーで、1月29日付の「天声人語」を読んで、ちょいと言葉遣いに引っかかったことを書いた。
 そのときは、無神経な言葉遣いだなぁ、と思いはしたものの、字数制限のあるなかで、筆者も言葉遣いにこだわりがあるだろうし、いろいろ考えての表現だろう──と、好意的に理解できないことはないかも、という気もしていた。
 でもね。
 今日の「天声人語」を読んで、悟りましたよ、私は。
 この欄、複数の筆者が書いてるんだろうけど、1月29日と今日(2月1日)の「天声人語」を同じ筆者が書いているのなら、その人があまりに無神経だということ。
 もし、違う筆者が書いているのに、無神経の度合いが同じなのであれば、「天声人語」自体が新聞の第1面に載るようなコラムではなくなってるってこと。
 その2つを悟ったね。
 今日の「天声人語」では、ネギの効用について書いていた。

 本来、薬味となる尖った食材である。
 火を通すだけでこれほど化けるものかと思う。
 ツンからデレへの変わりようは、どこか仕事も遊びもいける人のようで、できる野菜と呼ぶにふさわしい。
     (2010.2.1.「天声人語」より抜粋。句点で改行)

 
 ちょいと新しい言葉を覚えたからって、用法も考えずに振りまわすな!(怒)
 仕事も遊びもデキる人ってのは、粋な人ではあるかもしれないけど、ツンデレな人間ではないだろう。
 どう考えたって、ここでツンだのデレだの出てくるのはおかしいと思う。
 そういう言葉のつかいかたが無神経だというのだ。
 自分が今まで馴染んでなかった言葉なんだから(筆者の方々がキャリアを積んだ論説委員であることを考えると、ツンデレとかヤンデレとかに縁があるとは思えない)、使うんなら使うで、どういう場面で、どのように使うのか、考えてから使えってことである。
 たぶん、書いたご本人は、ピリッと辛味のあるネギのことを、最近の言葉でオサレに表現した、ぐらいにしか思ってないんだろうな。
 誰か止めろよ、とも思うけど、論説委員が書いた文章ともなると、手を入れるように進言できる人もいないってことか。
 とりあえず、息子の中学受験前に「天声人語」を読ませるのは、やめたほうが無難なような気がしてきた朝であった。