煙草の値上げに関する文章に対する一考察
今日から、煙草が大幅に値上げになった。
もっとも、我が家には、あまり関係がない。
何故ならば、我が家で唯一の喫煙者である相方が、減煙も禁煙もするつもりはなく、ゲーセン代や昼飯代を節約してでも喫いつづける、と決めてるからである。
根性すわった愛煙家なんてもんは、大体がこんなもんだと思ってるので、喘息持ちでありながら受動喫煙してる私でも、相方が私の寿命を縮めてるなんて毛ほども思ってないし、相方のほうも、私の生命を削ってるなんてことは全くない。
どっちかって云うと、減煙なり禁煙なりして、人生が終わってしまったかのような顔になるであろう相方を見てたほうが、私の寿命も(相方本人の寿命も)縮むだろうから、それぐらいなら、本人が食う量を削って煙草を喫っててくれたほうが、家庭内の平和が保たれて良いぐらいである。
もちろん、子どもたちへの配慮は充分にしているから、教育上どうこう言われる筋合いもない。
日ごろの教育がよろしいせいで、子どもたちは、喫煙が個人の嗜好の問題であることを十二分に理解している。
娘にいたっては、小学校最後の夏休みに、喫煙率と肺ガン発生率の因果関係について疑問を呈した新書をテーマに自由研究のレポートを書き、担任教師に感動の涙を流させたほどだ。
もちろん、担任教師がヘビースモーカーだったから、という事情もあるのだが。
さて。
そんな娘を育てた私だが、先に書いたように、大人になってから咳喘息を患い、自らが煙草を喫うことは出来なくなってしまった。
だが、愛煙家である気持ちに変わりはないし、節度と礼儀を持った喫煙者に対しては、尊敬の念すら抱いている。
それと同様に、煙草や喫煙といった「文化」に対して、全く理解のない嫌煙者や、「煙草は悪だ」というお題目を錦の御旗のごとく振りまわす人たちに対しては、どうしても嫌悪感を抱いてしまう。
なかでも、本当に解ってないよね、と思ったのが、本日(2010.10.1.)付の朝日新聞掲載の「天声人語」だ。
昭和18年、戦費調達のため、煙草の価格は平均で6割強も上げられたのだそうな。
そこで、
庶民は泣きながら、お国のためにせっせと紫煙をくゆらせたのだろうか。
と、筆者は書いている。
煙草が好きなヤツは、喫うとなったら喜んで喫うものなのだ。
なして、好きな煙草を喫うのに、わざわざ泣きながら喫わねばならんのだね。
米の配給などとは違い、一家につき何箱の煙草を買うように、とのお達しがあったとも思えないから、高くなっても、喫いたい人は自分の意志で買っていたと思う。
この時代、泣きながら煙草を喫うことがあったとしたら、恩賜の煙草ぐらいのものだろう──もっとも、畏れ多くて封を切ることもできない人のほうが当たり前だっただろうけれど。
そして、「泣きながら喫う」という表現以上に気に入らないのが、「せっせと紫煙をくゆらせた」という書き方である。
以前にも何処かで見かけて頭に来た記憶があるのだが、嫌煙者を自認する人たちは、煙草が嫌いなくせに何故、その煙を美しく表現するための言葉を平気で使うのだろう。
私に言わせれば、「紫煙」というのは「煙草の煙」の雅語なのだ。
その存在を愛しく、大切に想う人こそが使う言葉なのだ。
愛煙家にとって愛すべきそんな言葉を、嫌煙者を名乗る人たちに軽々しく使ってほしくないのである。
嫌煙者のほうも、愛煙家が大切にしてる言葉を使ってまで煙草の存在を貶めることを恥ずかしいとは思わないのだろうか。
この「天声人語」の一文に関して、ほかにも言わせてもらえば、「煙草」はくゆらすものだけど「紫煙」はくゆらすもんじゃないし、「せっせと」は「くゆらす」を形容する副詞にはなり得ない。
「くゆらす」という言葉自体、ゆったりした雰囲気を持っているのに、それを「せっせと」して、どうすんだ。
同じく、本日の「天声人語」中には、
歴代政府にとって、たばこは「金づる」だった。簡単にやめられない愛煙家の弱みに乗じるように、小刻みな増税を繰り返してきた。今回、遅まきながらも「財源」から「健康」へ舵を切ったともいえる。流れはもう変わるまい
という一節もある。
愛煙家とは、簡単に煙草をやめられない存在ではない。
簡単に煙草をやめない存在、なのだ。
その違いすら解らないくせに、煙草を「金づる」扱いとは片腹痛い。
うちの相方なんざ、値上がり前に買い込むことすら、しなかった。
彼にとって、毎日1箱の煙草を買い、それを一日かけて嗜むことが愛煙家としての矜持なのだが、この筆者には、その心意気なぞ一生、解るまい。
ついでに云えば、「財源」から「健康」へ本気で舵を切るのなら、煙草そのものを法律で禁止してしまうべきだろう。
でも、それはしないのだ。
それをするだけの確実な学術的裏付けもなく、そのために欠ける財源を埋めるための術もないのだから。
繰り返して言うが、私自身は煙草を喫えない。
それでも、煙草を愛している。
紫煙が生み出してくれる独特の空間を、愛しく思っている。
そんな変なヤツも、世の中にはいるんである。
だから、煙草って代物も悪いばかりじゃないかもよってことを、ほんのちょっとでも考えてもらえると嬉しいかな、と思うのであった。