新聞の書評欄とか

 
 思うのだけれど、新聞や雑誌の書評欄って、どういう基準で対象となる本を選んでいるんだろう。
 間違いなく、評者が自腹を切って購入し、そのうえで批評していると確信できる書評もあるのだが、そうではなくて、天から降って来た本(=献呈本とか)のなかから選んで書いているだけなのでは、と思える書評もある。
 たとえば、某新聞社の社説欄には、時おり本の引用が登場するのだが、そこに「近刊」という註が入っていることが、まま見られる。
 つまり、まだ本屋に並んでないけれど、新聞に記事を書くという立場から早めに入手することができ、引用することができたんだよってことだ。
 書評欄でも「近日発売」という註が入ってたりするし、ブログの書評記事などだと「○月×日発売予定」の本が堂々と紹介されてたりもする。
 毎日、すさまじい数の本が出版されるんだから、他の本よりも一歩二歩、先んじて紹介してほしいと思うのが出版社の正直な気持ちだろうし、宣伝効果としても、ある程度のものが得られるだろう、という想像はつく。
 
 でもね。
 
 なんか卑怯な感じがするんだなぁ(苦笑)
 たとえば、引用部分を含んだ記事を読んだとき、何とも説明のつかない違和感を感じることがある。
 引用元の本の著者は、本当に、この記事に引用されるような意図でもって、この文章を書いたのだろうか? というような、漠然とした違和感だ。
 すぐにそれを確認したくても「近刊」とか書いてあったら、確認しきれないまま、違和感は押し流されていってしまう。
 もちろん、あまりに気になるときはメモするなり何なりして、こちらも忘れないようにしておくんだけど、ほんの些細な違和感の場合は、そのまま押し流されてくことも多いんだよね。
 自分の財布からお金を出して買った本じゃない場合、流し読みだけで引用しちゃったり、書評しちゃったりってことはないのかなぁ。
 もちろん、本を献呈されてまで記事を書いてるような人は、お金を出したか出さないかで評が揺らぐようなことはない、立派な人物なんだろうとは思うんだけど、乏しい財布のなかから、その本を買うか買わないか(=読むか読まないか)を決める身としては、やっぱり自腹を切って書かれた書評や引用記事のほうを信用したいと思ってしまう。
 
 ついでに云うなら、「近刊」とか「近日発売」っていう漠然とした紹介の仕方は止めてほしい。
 せめて、発売日がしっかりと決まっている本を出してきて「○月×日」には本屋で買えますよ、もしくは、通販ででも予約しておけば手に入りますよ、というのが確実な状態の本を紹介してほしいと思うのだ。
 読み手の「読みたい」って意識を無碍にしてるような気がして、そういう表現が気に入らないのかもしれないな──と、いま書いていて気がついた。
 我が家には莫大な量の本が積んであるし、積ん読状態のままの本もたくさんあるけれど、どれもこれも自分で手に入れた本だ。
 だから、どれを引っこ抜いても「読みたい」って意識だけは、間違いなく存在している。
 たとえ読んでなくても「読みたい」意識はあるんだから、それを軽く見てほしくはないんだろうな、きっと。
 
 とは云うものの……ちょっと積ん読状態の本が多すぎるよね(汗)
 積ん読の神様がおわしたとして、許してくださるかどうか、それについては自信がないわ、私……