なんだかもう、わけがわからん(汗)

 
 本日(2011.2.20.)付の「天声人語」朝日新聞)を読んでいたら、武富士焼け太りについて触れてあった。
 要は、消費者金融武富士創業家の贈与課税をめぐる「二千億円還付」の司法判断が、一般人にとっては釈然としないものである、ということが言いたいらしい。
 だが、例によって例の如く、前段と後段が繋がってないもんだから、私が柳眉(というほどのもんではないが)を逆立てることになるわけである。
 
 文章の順番としては逆になるが、最初に気になったのは、最後段にある

 中国の古典によれば「浮石沈木」は大衆の無責任な言論で起きると言う。

 
 という一文だった。
 仮にも、何らかの古典によるなら、その古典の名前を出すのが順当なところではなかろうか。
 たとえ、ほとんどの読者に聞き憶えのないものであっても、出典のあるものならば出典を明記するべきだと私は思う。
 だが、書いてないものは仕方がない。
 仕方がないから、自力で調べはじめた。
 調べてる途中で気がついたのだが、今日の「天声人語」の初段には、

 中国の「浮石沈木」に由来する諺で、物事が当たり前の道理に合わないたとえだ。

 
 とある。
「浮石沈木」という四字熟語は、大勢が同じ意見を唱えれば、その意見が道理に反したものであっても、当たり前のこととして通用するようになってしまう、という意味合いだそうだ。
 とりあえず、ネットで複数の辞書にあたってみた結果、どれも大体そんな感じのことが書いてあったので、これは間違いないだろう。
 だから、「天声人語」氏が初段でいきなり「物事が当たり前の道理に合わないたとえ」と書いているのは、厳密に云えば間違いということになる。
 そして、肝腎の出典だが、もともとは、どうやら魏志 孫礼伝』にあった文言らしい。
 ただし。
 秦末〜漢初の時代に生きた陸賈という人が、漢の高祖のために書いた『新語』という書のなかにある文言が『孫礼伝』のものよりも有名なようだ。
 いわく──

 夫衆口之毀譽。浮石沈木。群邪之所抑。以直爲曲。視之察非。以白爲黒。夫曲直之異形。白黒之異色。乃天下之易見也。
 (夫れ衆口の毀譽は、石を浮せて木を沈ませ、群邪の抑うるところは、直を以て曲となす。これを見て察せざれば、白を以て黒となす。夫れ曲直の形を異にし、白黒の色を異にするは、乃ち、天下の見易きものなり。)
 
          「京都大學文學部研究紀要 (1965),9:85-136 『陸賈「新語」の研究』」(pdf.)より

 
 ──ということだそうで。
天声人語」氏は、こちらを出典にしたのかもなぁ……と、何となく思った。
 だって、「群邪の抑うるところ」=「大衆の無責任な言論」って訳しそうな感じがするからね。
 どの書に拠ったかによって、「天声人語」氏の、この判決に対する考えかたの解釈が変わってくるように思うのは、考えすぎだろうか。
 少なくとも、私は「浮石沈木」の一例として、武富士の判決を入れこんだのは、時事的にはともかく、文意的には不適切だったような気がしてならないのだ。
 朝日の顔だ、受験生の必読欄だ、と言われつづけたいのなら、それなりの文章を書いてほしい──と、毎度ながら思うのであった。
 
 ちなみに。
 この言葉を調べている最中に「漢字や国語学習に関するエキスパート」と自己紹介している人が書いているブログにブチ当たった。
 その日の「天声人語」や、ニュースのキーワードになる漢字を取りあげて解説しているらしい。
 でも、この人のブログ、武富士のCM写真(ねーちゃんたちが大勢でポーズ撮ってるヤツ)は入ってても、「浮石沈木」の出典は書いてないんだよね。
 エキスパートを名乗るなら、どっちかというと、そういうことを書いてほしいんだけど……受験生向けのブログみたいだから、そこまで深い情報は要らないって判断なのかな。
 だとしたら、もったいないわな。
 こういうところから、漢字や古典に興味を持つ学生だっているだろうにねぇ……