目線の位置

 
 最近いろいろな文書を作ることが多い。
 息子の小学校卒業が近づいているせいだ。
 息子の小学校では、保護者の有志が企画して「卒業を祝う会」なるものを卒業式の日の午後に行うことが、定例となっている。
 娘が卒業するとき、その有志に巻きこまれて散々苦労したため、今年は逃げきろうと思っていたのだが、いつの間にやら外堀が埋め立てられて、気がつけば、お知らせペーパーだの卒業生住所録だのの原稿を作るために、Excelと格闘するハメに陥っていた。
 
 ちなみに、Excelと格闘すること自体は、さして苦ではない。
 ツールが言うことを聞かなければ、無理やりにでも聞かせてやるのが楽しみだという、ヒネくれた性格の持ち主だからである。
 問題は、PCではなくて人間のほうだ。
 
 私が作った書類を見て、チェックする係の人がいる。
 その存在については異論はない。
 つか、どっちかと云えば、いてもらったほうが、ありがたいぐらいのもんである。
 私のことだから、お知らせに書いておかなければならない必要事項を書きもらすとか、平気でやりそうだからだ。
 だが、それってチェックして、わざわざ言うようなこと? と思うような箇所をいちいちツッコんでこられると、こちらも人間できてない分、だんだんイヤになってくる。
 その人に言わせると、私の文章は「へりくだり過ぎ」なのだそうだ。
 同じ保護者の立場ながら、有志として「祝う会」を企画してやっている側なんだから、そんな「へりくだった文章」で書く必要はない、と言うんである。
 他人に言われる前に自分から言っておくが、私はガサツな人間だ
 間違っても、へりくだったり、謙遜したり、という行動と深い縁を結んだことはない。
 私としては、ただ単に「丁寧な文章」を書いていたつもりだったのだ。
 同じ保護者どうしだからこそ、上から目線でも何でもなく、「卒業」という人生の節目に相応しい丁寧さで「お知らせ」を作っていただけなんである。
 その人に言わせると、たとえば、
「当日のお席は、現地受付でご案内いたします」
 という文章が、もう「へりくだり過ぎ」らしいのだ。
「座席は当日、現地で指定します」
 で充分だ、と言うんだな。
 私に言わせると、「ご案内いたします」はへりくだってるかな、ぐらいには思う。
「ご案内します」でもイイかな、と。
 でも、「指定します」はないんじゃないの?
 それって、なんだか上から目線でない?
 そういう気がするんだけど、その人のツッコミは大概が、そんな感じだったりする。
 何かと云うと、
「私たちは、やってあげてる立場なんだから」
 という気持ちが見え隠れするんだよね。
 そして、私に対しては、
「まともに働いてないんだから(その人はフルタイムで働くキャリアウーマンだ)、こういう『お知らせ』を作るのはヘタなのね。使えないなぁ」
 ぐらいに感じてるんじゃないかと思う。
 でも、私に言わせれば、「へりくだる」のと「丁寧な」のとは違うし、同じ保護者の代表として「やってあげてる」という考えかたは、どうなんだってことになるんだよね。
 そんなツッコミ入れるようなこと、わざわざやっていただかなくても、こちとら普通にやっていけるよ。
 毎回毎回、「お知らせ」の原稿を作っては、思いつきでそういう細かいツッコミを入れつづけられてたので、最初のうちは、
「私って、ほんと使えないヤツなんだなぁ」
 と落ちこんでた。
 でも最近では、
「さぁ、次は何処へツッコミ入れてくるかねぇ♪」
 と待ちかねるようになってきた。
 それぐらい気持ちを切り替えていかないと、とてもじゃないけど、こういう人とは付き合えない、ということが解ってきたからだ。
 遠慮なく、いろんな箇所をツッコんできてくれる分、こちらが気づかないことにも気づかせてくれるから、ありがたいよね、でも、こっちは譲れても、そっちは譲れないよ──そういう考えかたができるようになってきたのだ。
 別の見方をすれば、私が思い上がってきたってことでもあるんだが、上から目線の人に対するとき、ずっと下から見上げてたら、自分自身が疲れてしまう。
 疲れきってしまう前に、せめて同じ位置まで視線を持ち上げておかないといけない、ということに気がついただけのことだ。
 
 息子の卒業式まで、あと3週間。
 音を上げるのは4月になってからにするとして、それまでは、ちょいと頑張りましょうかね。