中日球場の夜空に歓声が響く

 
 与那嶺要が亡くなられた。
 享年85歳。
 
 私の年代だと、当然のことながら、巨人軍で川上哲治氏と打率争いをしていたころよりも、中日ドラゴンズの監督になってからのほうが印象深い。
 名古屋生まれの名古屋育ちなので、いつの間にか、自分は「中日ドラゴンズ」のファンだ、と刷りこまれていた。
 その事実を幼いながらも自覚したのが、1974年、川上監督ひきいる読売巨人軍セ・リーグ10連覇を与那嶺監督ひきいる中日ドラゴンズが阻んだときだ。(←トシがバレる)
 なにしろ、この年の『燃えよ!ドラゴンズ』は、今もそのまま歌えるものね。
 後年、この曲を作詞・作曲したのが山本正之氏と知り、なぜ氏の曲に対して、限りない郷愁を感じるのかが解った気がしたものだ。
 小さいころから、ずっと聴いてきて、ずっと歌ってきたんだから、故郷の旋律として心に刻まれたところで、何の不思議もない。
 私にとって、一番打者は高木守道であり、四番打者は外人選手のマーチンで、しかも絶対にホームランを打つもの、だったのである。
 星野仙一は強気の勝負に出ていたし、三沢や稲葉が踏ん張って敵の打線を抑えこんでいた。
 そして、ドームの屋根なんてない、遠い夜空に竜の叫びがこだまして、その怒濤の響きのなかを与那嶺監督が胴上げされるのだ。
 
 中日の監督を退いたあとも、長く球界に身を置いて、後進の指導に努められていたかただった。
 現在の球界を率いている立場の人たちを指導していたかたなのだから、85歳という年齢もうなずけるし、最近は故郷のハワイで静かに暮らしておられたそうだが、できることなら、まだしばらくの間、日本のプロ野球を見守っていていただきたかったと思う。
 御冥福をお祈りいたします。