ことばを「言い換える」

 
 某週刊誌に某作曲家のインタビュー記事が載っていた。
 タイトルが、

「商業音楽じゃなきゃプロとはいえないと思う。
 音楽は人に聴かれて初めて命を持つのだから。」

 となっていて、私は少し首をひねった。
「音楽は人に聴かれて初めて命を持つ」というのなら、聴き手が一人でも二人でも命を持たせることは可能ではないのか?
 なぜ「商業音楽じゃなきゃ」いけないのだろう?
 そう言ったら、相方が応えた。
「その人とおまえとでは『プロフェッショナル』ということばの定義が違うんだと思う。
 そのインタビュー記事のなかの『プロ』ということばを全部『ビジネス』に言い換えて読んでごらん
 半信半疑で、そうやって読んでみたら、内容がストンと胸に落ちてきた。
 なるほど、この人は「お金をもうける」=「プロフェッショナル」なんだね。
 それはそれで、ひとつの考えかただと思う。
 大河ドラマとかアニメとかで音楽を担当してるという紹介がされていて、そのタイトルも掲載されていたし、そのドラマやアニメも視てるはずなのに、音楽が思いだせなくて、結局のところ、
「この人……誰?」
 という状態だったんだが、それならば解る。
 彼にとっての「作曲活動」とは、依頼されたとおり、要求されたとおりの音楽を作って「お金」に換える=「ビジネス」として成立させることなのだろう。
 ビジネスとして成立しさえすれば、その音楽の出来は極端な話、どうでも良いのだ。
 その代わり、この人の音楽(ドラマやアニメのBGM)を聴いても、私は、そのドラマやアニメを視たいとまでは思わないだろうし、ヘタしたら旋律ひとつ耳に残らないかもしれない。
 でも、彼にとっては、その仕事は「ビジネス」として成功しており、だからこそ、自分は「プロの作曲家」だと言いきれるんだと思う。
 ただ、その一歩先を行っている作曲家がいることも確かだ。
 その人の名前を聞いて、
「彼が音楽を担当するなら、このアニメは視てみたい」
 とか、
「彼が音楽を担当するなら、このゲームをプレイしてみたい」
 とか、そう思わせてくれる作曲家が、確かに存在する。
 そして、私は、そういう作曲家こそを「プロフェッショナルな作曲家」だと自分なりに定義している。
 
「ことばの定義」をハッキリさせないと、意思の疎通は上手くいかないんだなぁ……ということを、しみじみ考えさせられた出来事ではあったね。うん。
 
 ついでに……賢いね、相方の考えかたは。
 伊達や酔狂で何冊もビジネス書を読んでるわけじゃなかったんだなぁ。
 ちょっと感心。てか、尊敬したよ。