あんたに言われたくはない
こればっかりは「天声人語」で取りあげてほしくなかったんだが、ネタが切れたらしくて10日ちかく前のニュースを引っぱりだしてきていた。
何って、マツダがロータリーエンジン搭載車の生産販売を終了する、というニュースである。
私の愛車は、ロータリーエンジン搭載の「RX−8」だ。
それも、いまや廃盤色となったライトニングイエローの「RX−8」である。
当然のことながら、乗り手の私は、ロータリーエンジン搭載の車を転がしてることに誇りを持ってるし、車が許してくれるかぎり、ずっと寄り添っていく決意をかためている。
なのに、天声人語子の言いぐさときたら、こうだ。(引用文は全て、2011.10.17.付「天声人語」より)
誰が絶滅危惧種──つか、絶滅種やねんっ!
ロータリーエンジンを愛する乗り手がいるかぎり、ロータリーエンジンも、その生命を積んだ車も、けっして死に絶えることはないのだ。
こちとら、カタログから姿を消したからって、とっとと次の車に乗りかえるようなハンパな気持ちでロータリー車を転がしちゃいないんである。
そんなことも判らんくせに、偉そうにネタにするんじゃないっ!
「弱みは燃費」だと?
悪かったな、どうせリッター4kmしか走らねぇよ。
だけど、その4kmには浪漫がある。
天声人語子には絶対に理解できないだろうけれど、そこには間違いなく、日本のモノ造りの精神に通ずる浪漫があるのだ。
孤高の技術と、それを走らせ続けた人たちに、チェッカーフラッグを捧げたい。
などとヌカしてるけど、自分が何を書いてるのか理解しているんだろうか。
ロータリーエンジン搭載車は、まだまだ走りつづける。
RX−8はおろか、その前のRX−7(FC、FD)が、いまだに多くの人たちに愛されて街を走りつづけているのだ。
チェッカー振ったところで止まるヤツなんざ、居やしねぇよ。
一つのエンジンと、その生命の灯を輝かせながら走る車への愛と浪漫──天声人語子には、けっして理解できないだろう。
理解できない以上、勝手に人の浪漫に幕引きをしてほしくないもんだ、としみじみ思ったのであったよ。