言葉は悪いが…
「腐っても鯛」という諺を目の当たりにした思いだ。
我が家の近所に一軒の本屋がある。
歴史が古く、それなりの規模を持った本屋だ。
昨今よくあるレンタルショップ併設の郊外型の書店ではなく、書籍に雑誌、文房具だけを扱う店舗だった。
品ぞろえも凝っていて、雑誌の類なども一般書店では及びもつかないような数を扱っていた。
一時期、私がパートに入っていたころは、棚の構成に関して一家言も二家言もあるような連中(私もふくめ)が、個性的で面白い棚を作って売り上げを伸ばすことに、鎬を削っていたものだ。
だが、昨今の不況下、そうした本屋は流行らなくなったのだろう。
いつの間にか、書棚の数は減り、雑誌の種類も少なくなった。
個性的なパートさんや社員さんたちも次々に辞めていき、時々「読み聞かせ」や「講演会」などを開催するほかは、ごく普通の本屋になっていった──ように、私には見えていた。
事の起こりは、娘である。
何をどう思ったのか知らんが、
「ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読みたい」
と言いだしたのだ。
いわゆる「世界の名作」に数えられるような本だから、どこの文庫にも収録されているだろう。
だが、どうせ古典とも云えるようなドイツ文学を読ませるなら、私は実吉捷郎氏の訳で読ませたかった。
古い考えかもしれないが、古典に相応しい日本語で訳されたものを読ませたかったのだ。
Amazon.で探してみたところ、実吉訳の『車輪の下』は岩波文庫に収録されており、配送まで1〜3週間かかると書いてある。
私 「ちょいと、おにいさん。あんたの店(うちの相方は大手チェーンの本屋勤務である)に岩波文庫なんて置いてないよね?」
相方「うちみたいな流行りモノ中心の店にはないよ。
岩波は買い切りだから」
私 「やっぱり、そうだよねぇ……」
岩波書店というのは、御大尽商売をしても許される数少ない出版社のひとつだ。
書店に卸した自社出版物の引き取りをしないんである。
それがつまり、書店買い切り、ということで、一切の返本は許されない。
本屋にしてみれば、いつ売れるか判らない本で棚を塞いでおくことはできないし、かと云って、仕入れたら最後、返本できないというのでは、なかなか扱いづらい。
学術書系統に振っている本屋ならばともかく、普通の本屋では敬遠される品物だろう。
まして、Amazon.においておやである。
だが、その昔、例の近所の本屋には岩波文庫の棚が厳然として存在していた。
当時の社長が、
「売れなくても置いておくべきだ」
と主張しており、これがまたたまに売れたりするから面白い。
文庫の品出しをするたびに、その妙に唸っていた私なので、久々にその本屋に行ってみることにした。
──あったよ。
店内は随分と様変わりしてたけど、棚の幅は半分になってたけど、ちゃんと岩波文庫のコーナーがあった。
お目当ての『車輪の下』もあったので、早速ゲット。
何だかんだ云いつつも、どこかにこだわりが残ってるもんなんだなぁ、と思い、ちょっと感心した私なのだった。