解るんだけど、それはダメだと思ってしまう

 
 新聞や雑誌の読者投稿欄を読むのが好きだったりする。
 いちばん好きだったのは、今は亡き雑誌『噂の真相』の投稿欄で、時々とんでもない大物評論家や作家などが自由に討論していたのが面白かった。
 編集長の岡留安則氏が、どんな意見でも聞くべきところがあれば受け入れ、発表する場を提供していたからこそ、成り立っていた欄だと思うが、実に読みごたえがあったものだ。
 それに比べると、他の紙メディア──ことに新聞の投稿欄は、その新聞が寄って立つ考えかたに近いものが採用される傾向があるし、社会的な論説文ではなく、ほんの随想のようなものであっても、編集者だか校閲者だかの手が入ってしまって、
「こんなの私が書いた文章じゃない。こんなことを言いたかったんじゃないのに!」
 と、頭から湯気を噴く羽目になることも珍しくないように思う。
 実際、結構そういう欄への採用が多い私の母が、しょっちゅう湯気を噴いてるから、まぁ間違いないところなんだろう。
 だから、今日の新聞で見かけた「読者の声」も、その新聞が考えている考えかたに沿うよう、何らかの脚色がされているのではないかな、と思いはしたものの、なんだか寂しい意見で、ちょっと心が折れるような気がした。
 
 内容は、
「“東京電力”の電気料金をもっと値上げするべきだ」
 というものだ。
 先の震災で甚大な被害を被った県に住むかたの投書で、
「今までの生活を奪われただけではなく、原発がある福島に住むというだけで風評被害をも受けている。
 この被害に対する物質的、精神的賠償金が、どれほど莫大な金額になろうとも、東電側はちゃんと支払うべきだ。
 国に援助してもらうのではなく、企業として責任を取ってもらわなければならない。
 そして、企業として責任を取るための財源を得るため、電気料金を大幅に値上げするべきだ。
 そうすれば、原発の周囲に住む住民が受けている被害を、対岸の火事のように眺めている人たちにも事態の深刻さが伝わるし、あらぬ風評被害もなくなるだろうから」
 と、切々と述べていた。
 
 そんなふうに言いたくなる気持ちも解らなくはない。
 その県から来たというだけで子どもが仲間外れにされたり、品物を売ってもらえなかったり、車が傷つけられたりしたら、そんな気持ちにもなってしまうだろう。
 けれど、そんなふうに思ってしまうのって、自分たちが同じことをやり返すだけになってしまわないだろうか?
 
 いじめられたから、いじめ返す。
 自分たちが生活に困るから、相手も生活に困るようにお金を取ってやる。
 それじゃ際限がないじゃないか、と思うのは、私だけだろうか。
 この投書者は、自分自身が、風評被害に乗せられている一部の人間と同じ場所へ堕ちていることに気がついていないのだろう。
 私だって、綺麗事だけで世の中が回っているとは思っていない。
 中学のとき、「ビビる」という言葉を知らなかっただけで、
「あいつ、いいとこの子だわ。俺らとは違うんだで、口きいたら、いかん」
 という、わけの解らない理由で仲間外れにされた経験があるぐらいだから、世の中には目に見えない境界線や溝があることは、よく解っている。
 
 それでもなお、この投書者には考えなおしてほしい。
 すべての賠償金を電気料金に積みあげたら、どういうことになるか、考えてみてほしい。
 風評被害に乗せられていた人たちは、
「あの県で、あんなことがあったから、電気代が値上がりして、自分らが苦労することになったんだ」
 と思うだろう。
 そんな噂に乗せられていなかった人たち──自分たちのできる範囲で、一所懸命に復興に協力しようとしていた人たちでも、そう思うようになってしまうかもしれない。
 というか、そうなってしまう可能性のほうが高いんじゃないだろうか。
 それでなくとも、長い避難所生活のなか、被災者のかたがたの気持ちも身体も、じわじわと蝕まれていることだろう。
 その傷口を、自分たちで広げるようなことをしないでほしい。
 心の底から、そう願っている。
 
 しかし……このような意見を掲載したってことは、この新聞、東電管内の電気料金値上げも止むなし、と考えてるってことなんだろうかね。
 一般企業が、これだけの人災を引き起こしたら、役員報酬はもちろんのこと、一般社員のボーナスも、まず出なくなるだろうに、東電の場合は最低でも1ヶ月分は確保されていると聞く。 
 今まで多額の報酬をもらっていた以上、その報酬に見合うだけの責任を取るのは、役員、そして社員じゃないかと思うんだが。
 そこんところを東電の役員さんたちには、よく考えて、いろいろなことを決めてほしい。
 相方が毎日苦労して稼いできてくれる給料から納めてる税金を、こういう会社の救済に回してほしくはないなぁ……と感じるからね。