恥ずかしいったら、ありゃしねぇ(汗)

 
 だから、怒るなら読むな、という話なわけだが。
 朝日新聞・本日(2011.6.17.)付の天声人語」欄には心底あきれた。
 この春から、小学校5・6年生に英語が必修になった、というニュースを受け、「英語重視が日本語軽視を誘わないよう」にしてほしい、という趣旨で書かれたものらしい。
「らしい」というのは、筆者自身がハチャメチャな日本語を使っているからだ。
 上に書いた趣旨部分にしても、

様々な人が一家言を持ちつつの教育の舵切りだ。その侃々諤々に口をはさませてもらえば、英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい


 とある。
「一家言を持ちつつの教育の舵切り」という言葉の意味が、何となくは解るものの、はっきりとは読み取れない。
 要は「船頭多くして船山に上る」と言いたいのか?
 でも、たぶん違うよね。違うんだろうけど、何が言いたいんだか、さっぱりだ。
 それに、「口をはさませてもらえば」を受けている述語がない。
 文末が「気をつけてほしい、と言いたい」ならば、「侃々諤々に口をはさむ」意味もあると思うんだが、「気をつけたい」だけでは、前後のバランスがおかしいように思うのは私だけだろうか?
 その次の段落では、故・井上ひさし氏の言葉を引いて、

母語は道具ではなく、精神そのものである」と、これは井上ひさしさんが言っていた。英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい


 とある。
 異は「言う」もんじゃなくて「唱える」もんじゃっちゅーねんっ!!
 たかだか一字分、マス目が足りなくなったからって、「たしかな日本語力が前提」とか言いながら、勝手な日本語を作ってほしかぁないよ。
 前文の「これは」を削れば済むだけの話である。
 
天声人語」ってのは、ある程度、新聞の記事等を書いて、経験を積んできた記者が書いてるものだと思ってたんだが……
 こんな文章を平気で書いちゃうんだなぁ……と思うと、眩暈がしてくる。
 新聞代から「天声人語」の原稿料分だけ引いてほしいぐらいだ。
 あ、でもそうすると、ブログのネタ代を払わなきゃならなくなるか?
 そいつはちょいと勘弁な(笑)